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2008年7月

40.どきどき

 人生において、目の前で二人の女が俺を取り合うだなんてこと、多分二度と無いに違いない。だから、しっかり記録でもしておこう。俺の脳裏にだけだが。
 それにしても、本当に脳内だけだったら良かったんだけどな。

 もうすぐ夜が更けそうな公園の片隅で、そろそろ出没するカップルの年齢層が上がり始めるこの時間帯に、制服着たまま痴話喧嘩。恥ずかしすぎる。そもそも、何でこんなコトになったのか。

「テツくん、どういうこと?! もーいや! 何よ、この女! 何とか言って!! 」

 そんなこと言われても。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見せるのは、俺の彼女の真帆ちゃん。隣のクラスの女の子。つき合ったきっかけは良く覚えてないけど、わりとべたなシチュエーションで告られて、今に至っている気がする。どれくらいつき合ったっけ。半年くらい? 
 で、泣き叫ぶ真帆ちゃんを後目に、俺の腕にすがりついてるのは、最近俺を追っかけているニューフェイス、イッコ上の良香さん。学祭の合唱コンクールで一緒にピアノを弾いたのがきっかけで、一緒にいるようになって、気がついたらこうなってた。
 いや、ついさっきまで、手をつないだこともなかったけど。でも、良香さんが俺に気があるって言うのは、十分承知してた。ただ俺のことを、勘違いしてるフシもあったけど。

「離れて!! 」
「あの、良香さん、そう言ってるんで……」
「なあに? 」

 め、めんどくさいな、この状況。良香さんは一緒に話をしてただけなんだから、真帆ちゃんはそんなに喚かなくてもいいじゃないか。真帆ちゃんが騒いだから「こわーい」なんて言って、彼女は俺にしがみついてるわけで。
 いやいや、しかし良香さんは余裕だ。好みで言えば、良香さんの方が全然好みなんだけど。そんなこと言ったら、真帆ちゃんに八つ裂きにされそうだな、この状況だと。
 男冥利に尽きるのかもしれんけど、もう良いかな、こういうの。何か、俺も妙に冷静だし。
 一つの者を奪い合うって言うのは、醜い争いを起こすだけなわけで。俺は絶対、そう言う真似はしないでおこう。

 そう、俺は懸命だ。初恋から、あまりに大きすぎる挫折を味わいつづけてここまで成長してしまったんだ。こんなコトくらいで動揺するか。枯れているという無かれ。無関心にもほどがある、と俺を罵ったヤツもいたけれど、無関心なわけじゃない。慎重なだけだ。

「テツくんのバカ! 何とか言って、って言ってるでしょ? 」

 ああ、そうか。こういう場合は、俺にすがってる良香さんを引き離すより、真帆ちゃんを宥めるのが先か。
 真帆ちゃんに手を伸ばし、良香さんから逃げるように彼女を抱きしめようとしたら、引っかかれた。何故? なんか、手負いの獣みたいになってる……。

「ちょっと、テツに何するのよ」
「あんたみたいなババアに言われる筋合いはないわよ! 私のよ! 」

 一つ上なだけでババア扱いするその姿にはひいたけど、彼女の主張に、俺は自身の最初の挫折を思い出す。口汚いけど、必死に俺のことを、自分のものだと主張する真帆ちゃんの姿に。
 忘れもしない、俺が小学生になったばかりのころ。今の俺と同じ年だった俺の従姉妹は、俺にピアノのレッスンをしながらこっそり教えてくれた。

『いつか、あの人を私のものにするの。テツは私の味方よね? 』

 その「あの人」っていうのは、他でもない俺の親父。子供心に、俺は利用されているんだと、泣き出してしまった覚えがある。彼女がその理由も判らず、仕方なしに宥めてくるので、余計に泣いていた。
 ピアノを弾くのは好きだし、彼女も好きだったけれど、レッスンをしに彼女が家に来るのがいやになった。だけど「レッスンをやめて」とどうしても言えなかった自分の弱さに、ますます泣きたくなった。

「テツ、危ないから行きましょ? 」
「でも……彼女だし」
「やさしいのね。こんなコトされても、未だ彼女って言ってあげるなんて」

 良香さんは血が滲む俺の手を取り、唇でなぞった。手慣れてるよ、この女。ちょっとだけ、良いかも。相当モテるだろうに。今まで男を振り回してきた感じだな。

 俺の従姉妹、愛里もそうなんだ。会うたびに知らない男を連れて歩いてた。なのに、親父の前では男なんて知らない、って顔を見せる。俺だけが、それを知ってる。知り続けている。オヤジも、愛里の他の男も、誰も知らないことを。俺だけが、ずっと。

「そうでもない」
「そういう冷静で、優しくて、大人っぽいところが良いよね」
「……違う! テツくんは、いつも酷かった。私ばかりがテツくんのことを好きで、ずっとほったらかしだったじゃない! 大人っぽいんだかなんだか知らないけど、全然構ってくれないし! デートもホテルも、誘うのはいつも私。ちょっと顔が良いからって何よ! バカにしないで! 」

 とうとう逆ギレされた。捨て台詞を叫んだ後、真帆ちゃんは怒りの形相に涙を浮かべながら、走って逃げた。さすがにへこむぞ、そこまで言われたら……。そんなこと、大声で言わなくても。
 何で女って、ああなんだ。

「……ホテルまでは……どうかな? 」

 良香さんはあきれたように呟いたくせに、俺の腕に絡めた手に力を入れ、すり寄ってきた。

「まあ、へこむけど、事実だし。それでも良いんですか? 」
「それって、私が誘ったら、一緒に来るってことでしょ? だったら、今日から私のものね」

 オヤジに似て顔だけは良いと、誉められてんのか貶されてんのか(そう言う場合は大抵親を持ち上げ、子を落としてるものだけど)判らない評価をされてきた俺の、今がモテ絶頂期か? それとも人生これからか?
 何故かまた、ちょっと強引なタイプの女だけど、その方が俺には合ってるのかも知れないな。一歩引いてたのは確かだし。

「誘わないくせに、そう言うことは出来るのね」

 強引にキスをして、腰を撫でる俺に、彼女は満更でもない顔を見せた。
 俺が誘う前に、彼女から誘ってきただけだよ。出来ないわけじゃない、多分、慎重なだけだ。

「いいよ。今から、私が彼女でしょ? 」

 ほら。たまたま、俺の周りにせっかちな女が多いだけ。だと思う。彼女は再び俺の腕に手を絡め、公園を出るように促す。
 彼女に引っ張られるまま、彼女の家に連れて行かれた。ちょうど今夜は両親の帰りが遅いだなんて、彼女は元々こういうつもりだったんじゃないかって言うくらい、出来すぎてる。

 愛里もそうだ。あの女は、酷く計算高い。男に俺の家まで送らせておいて、その5分後、オヤジがちょうど家に帰ってくる。実は、二人で待ち合わせていたんじゃないかって言うくらい、ぴったりの時間だ。そして、彼女は何食わぬ顔をして、オヤジと一緒に俺の家に上がる。俺のレッスンという名目の元に。
 それを全て知りながら、俺は未だに、彼女からピアノを教えてもらうことをやめられない。彼女が俺を利用していることは判っているのに、それでも、ピアノが俺と彼女を唯一繋ぎ続けるから。

 良香さんの部屋には小さなアップライトピアノがあって、彼女はその椅子でするのが好きみたいだった。俺も嫌いじゃないけど、いつ彼女の両親が帰ってくるかと思うと、心臓に悪かった。彼女の感触に、感動なんて覚えていられなかった。
 8時過ぎ、帰ろうとした俺を、大通りまで送ると言って、彼女は俺の腕にしがみつきながらついてきてくれた。わりと強そうに見える人だから、こういうところは可愛いと思う。明日、真帆ちゃんとまた何かあったらと思うと面倒だけど、良香さんがオレの隣にいる状況は嫌じゃない。

「テツってさ、何か、余裕があるよね。年下なのに、そんな感じがしないもの」
「ああ。何、さっきのこと? それとも、部屋でのこと? 」
「両方」

 大通りに出たところで、彼女はオレから手を離し、自宅へ戻っていった。信号待ちをしていた俺の隣に、見慣れたピンク色の車が横付けし、運転席の窓を開けた。。

「見ーちゃった。彼女? まあまあ可愛いじゃない。ついでだし、乗ってく? 」

 大学の帰りなのか、助手席には荷物が散乱していたが、愛里はそれを後部座席へどかしてくれた。俺は何も言えないまま、彼女の横に座る。
 少し乱雑な運転に文句を付けたら、いつものように怒られる代わりに、再び良香さんのことをからかわれた。

「悪いかよ。俺のこと、未だ小学生ぐらいだと思ってんじゃねえの? 」
「そんなことないわよ。最近、鉄城によく似てきた。男っぽくなってきたし」

 彼女の隣は、良香さんの部屋より、何だか蒸し暑くて息苦しかった。触れてもいないのに、体の右側だけ、妙に熱っぽかった。触ってる間はどうでも良かった女の感触が、今ごろ俺の体の表面で主張しているような気分だった。

「……いつまでも子供扱いすんなよ」

 手を伸ばしたら、簡単に触れられる距離にいるのに、手を出すことすら出来ない。こうして俺は、減らず口だけがうまくなっていく。
 触れることを想像しながら、ただ彼女を見つめる。その行為が、どれだけ苦しいか。どれだけ俺を振り回すか。

 だけどこの苦しさが、心地よくもある。もう10年以上もの間、俺はこの感覚に浸りきってて麻痺してる。だから他の感覚はとっくに鈍ってしまって、ちょっとのことじゃ動揺しなくなったのかな?

「彼女が出来たくらいで、子供扱いすんなって浮かれてるようじゃ、まだまだ子供でしょ? 」

 悔しいけど、その通りだ。俺はやっぱり、まだまだ対等には扱われない。それがこんなに苦しいのか? 苦しいのに、妙な高揚感がくせになってる。
 火照る顔を見られたくなくて、顔を逸らした。このまま家につかなければいいのに、と願いながら。

<from "W.E.M[World's end music]">

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